礼拝説教要約「霊によって絶えず祈る」(2026/10/25)を掲載しました
担当 佐藤 潤 伝道師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
エフェソの信徒への手紙 6章10~20節 ヨエル書 3章1~5節
この手紙は、大きく二つに分けられる。前半の1~3章では、キリストの十字架の死と復活によって罪を赦され、神と和解し、神の家族とされた救いの事実が語られている。救いとは、罪の支配から解放され、神のご支配、すなわち神の国に生きること。後半の4章以降では、この救いに与った信仰者の生活について、「キリストの香りに生きる」といった勧めが語られていた。その土台にあるのが、キリストによる救いの事実である。しかし現実は、人間関係の破れや病気、死への恐れなどに直面し、信仰が揺らぐことがある。ここに信仰の戦いがある。
キリストの十字架によって悪魔はすでに敗北しているが、神の国が完全に完成するのは、主イエスの再臨の日。私たちは「すでに」救いにあずかりながらも、「いまだ」悪の働きが残る時を生きている。そのため、信仰生活は単に平穏に過ごすことではなく、神への信頼を揺るがそうとする悪魔の策略に立ち向かい、信仰に立ち続ける戦いである。私たちは自分の努力だけでは悪魔に打ち勝つことはできない。だからこそ、「主にあって、その偉大な力によって強くなりなさい」と勧められている。キリストの十字架によって与えられた救いの恵みに依り頼むことが大切である。そのために「神の武具」を身に着け、悪魔の誘惑や偽りに抵抗する。その武具を実際に生かすために「霊によって絶えず祈る」ことが必要である。祈りは自分のためだけでなく、すべての信仰者のためにも捧げられる。
キリストも苦難の中で祈り、十字架の死に至るまで信仰の戦いを続けられた。その先に復活の栄光がある。主に従うとは、この栄光に向けて歩み続けること。日々悔い改めて神に立ち帰り、互いに支え合いつつ、福音を宣べ伝えていく。主の大いなる力に支えられ、神の国が完成する日まで、共に信仰に立ち続けていく、そこに私たちの信仰生活がある。

