礼拝説教要約「キリストを畏れる」(2026/9/27)を掲載しました
担当 佐藤 潤 伝道師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
エフェソの信徒への手紙 6章1~9節 申命記 6章20~25節
5章では「妻と夫」、そして6章では「子と親」「奴隷と主人」という人間関係が見つめられています。これらは、私たちが日々の生活の中で実際に置かれている関係です。そのすべてを貫いているのが、「キリストに対する畏れをもって、互いに従いなさい」という勧めです。ここでいう「畏れ」とは、恐怖ではありません。天地創造の前から神に選ばれ、キリストの十字架によって罪を赦され、神の子とされたという、計り知れない救いの恵みに対する驚きと感謝です。1~3章で語られていた救いの事実が、4章以降の具体的な信仰生活の土台となっています。私たちは、救われるために人に仕えるのではなく、すでにキリストによって救われた者として、感謝してキリストに従うように他者に仕える者とされています。
「キリストを畏れる」信仰にあって、キリストの前では誰もが同じ主に仕える者です。ここに福音によって新しくされた人間関係があります。それは単に上下関係を逆転させることではなく、権利や支配を中心とする関係から、相手の益を求め、自分を献げて仕える関係です。
このことは、現代の私たちにも大切な意味を持ちます。家庭や職場の中で、私たちはそれぞれ異なる立場と責任を担っています。しかし、その立場が私たちの人間としての価値を決めるのではありません。キリストが最終的な評価者です。この信仰に生きる私たちは、キリストが私たちのためにご自身を献げてくださった愛に応えて、隣人のために生きることへと招かれています。
教会で与えられた救いの恵みは、礼拝の中だけにとどまりません。私たちは家庭、職場、学校へと遣わされています。そして日々の人間関係の中で、キリストを主とする新しい生き方を証しする。そこに、神の国の福音が私たちの信仰生活を通して具体的に現されていくのです。

