礼拝説教要約「このたとえが分からないのか」(2026/10/4)を掲載しました 

    神学校日・伝道献身者奨励日

担当   川島 一夫 神学生

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  マルコによる福音書 4章1~20節  イザヤ書 55章10~11節 

 マルコによる福音書4章の「種を蒔く人」のたとえは、「よく聞きなさい」という言葉で始まり、「聞く耳のある者は聞きなさい」という言葉で結ばれます。このたとえの中心には、「御言葉を聞く」とはどういうことなのか、という問いがあります。

 たとえを聞いた人々は、すぐにその意味を理解したわけではありません。しかし、主イエスの周りに留まった人々は、分からないままに尋ね、もう一度聞こうとしました。その人々に主イエスは、「あなたがたには神の国の秘儀が授けられている」と言われます。秘儀は人間が自分の力で獲得する知識ではなく、神から既に与えられたものでした。それでも弟子たちは、その後も主イエスの言葉を理解できず、何度もつまずきました。つまり、聞く者とは、すべてを理解できる人ではなく、分からなくても主イエスの周りに留まり、繰り返し御言葉を聞く者なのです。

 私たちはこのたとえを、「自分は道端、石だらけの地、茨の中、良い土地のどれなのか」と人間を四種類に分類する話として読みがちです。しかし、ここには種を蒔く方がおられるのです。主イエスご自身が御言葉という種を蒔き、人々を「聞く者」へと招いておられるのです。

 イザヤ書55章は、神の口から出る言葉は空しく神のもとに戻らず、神の望むことを成し遂げると語ります。御言葉を実らせるのは、私たちの力ではありません。神の言葉が蒔かれ、人が聞く者とされ、三十倍、六十倍、百倍の実を結んでいく。そこに、目には小さく見えても確かに働き、広がっていく神の国の姿があります。

 御言葉を何度も聞き損ない、つまずきながら、それでもキリストから御言葉を蒔かれ続けている私たちも、今度は教会として、その御言葉を携えて世へ遣わされています。「聞く耳のある者は聞きなさい。」今日も私たちは、この御言葉によって聞く者へと招かれているのです。
 

 



  



 

  

 

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