礼拝説教要約「永遠の贖い」(2026/8/16)を掲載しました
担当 熊江 秀一 牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
ヘブライ人への手紙 9章1~14節 レビ記 16章11~19節
ヘブライ書の説教者は、キリストが大祭司であることを語ってきた。このお方によって新しい時代が始まった。キリストによる新しい契約の時代である。
今日の箇所では、新しい時代の到来が「改革」と呼ばれる。戦後、日本は新しい時代を歩み出した。しかし今、日本が古い時代に、逆行している風潮がある。
今日の聖書にも同じ問題が指摘されている。キリストによる新しい時代が到来したのに、古い時代に逆行している姿である。
古い契約の時代、幕屋に遮られた礼拝であった。その姿を説教者は神を見失った「今という時代の比喩」と告げる。
今はキリストが到来した新しい時代である。しかし今も、幕屋に遮られるように、神を見失っている。隣人のことも見えず、自分のことしか目が向かない。
しかしそんな罪の世に自ら飛び込み、命を持って改革して下さるお方がキリストであった。
キリストの十字架の死の時、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けたように、神と人とを隔てる私たちの罪をキリストは十字架で取り去り、贖って下さった。キリストは地上の聖所で大祭司が動物の血で罪の赦しを祈る礼拝ではなく、天の聖所でご自分の血で私たちに永遠の贖いを成し遂げて下さった。それは既に十字架と復活によって実現した。しかしそれはまだ完成ではない。その恵みを知らない人がまだいる。それが今の時代である。だからこそ大祭司キリストの執り成しは今も続き、教会は福音を宣べ伝え、キリスト者はキリストを証しする。
これは私たちが祭司になることでもある。私たちは祭司となって神を礼拝し、隣人を執り成し、福音を宣べ伝える。
神を見失った今の時代にあって、大祭司キリストの永遠の贖いは実現している。この恵みを心から喜び、万人祭司となってこの救いを伝えてゆこう。

