礼拝説教要約「信じて命を得る者」(2026/10/11)を掲載しました
担当 熊江 秀一 牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
ヘブライ人への手紙 10章26~39節 ハバクク書 2章2~4節
聖書には「過って犯す罪」と「故意に犯す罪」がある。「過って犯す罪」は、贖いの犠牲によって赦される。しかし「故意に罪を犯す者」は主を冒瀆する者、民の中から絶たれる。(民数記15:27以下)。
説教者は信仰を与えられた後、「故意に罪を犯し続ける者」への旧約以上の厳しい宣言を語る。それは「神の子を踏みつけ」「契約の血を汚れたものとみなし」「恵みの霊を侮る」ゆえである。ある人は「故意に犯す罪」は礼拝を軽んじることと言う。私たちも襟を正してこの言葉を聞かなければならない。
この厳しい言葉の直後、説教者は励ましと勧めを語る。
洗礼を受けた後、救われた喜びの中で、信仰ゆえの試練に耐えた初めの頃を思い出すのである。この説教はローマの教会に語られた。厳しい迫害の時代である。しかしどんな迫害にあってもローマから教会は無くならず、信者は増え続けた。彼らは試練の中「自分たちがもっと優れた、いつまでも残る財産を持っていると知っていた」からである。それは地上の富に勝る天の宝。「永遠の命」であり「神の国を受け継ぐ約束」である。ゆえに彼らは「喜んで耐え忍んだ」。
だからこの説教者は宣言する。「自分の確信」を捨てず「忍耐」に生きることを。聖書の「忍耐」は上を見上げ、希望を持って耐え忍ぶという積極的な意味がある。
それは御言葉によって約束されている。説教者はハバクク書2章を引用しつつ、主が再び来られる時を確信して、信仰を持って歩むことを教える。なぜなら正しい者は信仰によって生きるからである。主が再び来られる時を確信して「いつまでも残る財産」を持って、信仰によって生きるのである。
「私たちは信じて命を得る者」。キリストが備えて下さった命の道を共に歩もう。

