礼拝説教要約「神の確かな約束」(2026/7/5)を掲載しました 

担当   熊江 秀一 牧師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  ヘブライ人への手紙 6章13~20節  創世記 22章15~18節 

 教会のシンボルは十字架である。一方、迫害の中で隠されたシンボルとして魚(イクスース)も刻まれた。
もう一つ隠されたシンボルがある。錨である。この手紙は、神の「希望」を「魂のための安全で確かな錨」と告げる。

この背景はアブラハム物語である。アブラハムは故郷を離れ、神の示した地に旅に出た。それは日常生活を離れて、神の国を目指して信仰の道を歩む私たちの姿である。

この時、神はアブラハムが希望に生きるために「二つの不変の事柄」で励ました。それは神の「約束」と「誓い」である。神はご自身にかけて誓い、約束された。

そして神は今や、このアブラハムへの約束と誓いを「受け継ぐ人々」である私たちにして下さった。神の約束と誓いによる希望こそが、私たちの魂のための錨となる。

そして私たちは心に留めたい。この神の約束と誓いは、キリストによって私たちに実現したことを。キリストこそ私たちの希望であり、錨である。

そしてこのお方は「私たちのために先駆者としてそこ(垂れ幕の内側)へと入り、永遠にメルキデゼクに連なる大祭司」となられた。

大祭司は垂れ幕の内側に入り、犠牲を捧げて罪の贖いをした。しかしキリストは永遠の大祭司となって天の聖所の内側に入り、ご自分を罪の贖いの犠牲として捧げた。私たちを永遠に執り成し、救いの「先駆者」となられた。今やキリストという錨によって私たちは救いを得た。

アブラハムの「忍耐」と私たちの「忍耐」(12節)は違う。アブラハムの忍耐は神が誓った約束を待つ忍耐。私たちの忍耐とは、それがキリストによって実現したことを知っての忍耐である。

どんな時も大祭司キリストの救いと執り成しの中で忍耐し、キリストの希望という錨を携えて、神の国を目指して歩もう。
 

 



  



 

  

 

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