礼拝説教要約「堂々と恵みの座に近づこう」(2026/5/10)を掲載しました
担当 熊江 秀一 牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
ヘブライ人への手紙 4章14~16節 サムエル記上 1章9~20節
この手紙の第二部に入り、神の言葉である主イエスの救いとして大祭司イエスの姿が語られる。
大祭司はイスラエルの民にとって特別な存在であった。その働きによって自分の罪の贖いを確信し、その執り成しによって神の民として歩むことができた。
著者である説教者は、主イエスが大祭司であると宣言する。しかも地上の大祭司に勝る偉大な、永遠の大祭司と語り、この恵みを語って行く。
「私たちには、もろもろの天を通って来られた偉大な大祭司、神の子イエスがおられる」。天は7つに分かれ、その上に神が住むと思われていた。7つの天を通って天の聖所に進む主イエスと、いくつもの垂れ幕を通って神殿の至聖所に入る大祭司の姿が重ね合わされる。しかも7つの天には、悪魔、悪霊がいて人間を誘惑すると思われていた。主イエスは悪魔や悪霊を打ち破って天に聖所に進まれた。
しかしその際、主イエスは、人が受ける試練をすべて経験された。そのようなお方が大祭司として天の聖所に進まれたのである。
「この大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではなく」。この「同情」と訳された言葉は「共に苦しむ」という意味を持つ。主イエスは私たちの罪の苦しみをご自分の苦しみとされた。それは大祭司が汚れなき動物の血によってイスラエルの罪を執り成すことにはるかに勝さる。罪なき主イエスは罪を担い、ご自身の血によって私たちを執り成した。
私たちには「この偉大な大祭司、神の子イエスがおられる(原語:持っている)。大祭司イエスは、私たちのものと思えるほどに私たちと共に歩まれた。 大祭司イエスは今も私たちの罪の苦しみをご自分が担い、執り成している。
だから「堂々と恵みの座に近づこう」「信仰の告白をしっかり保とう」。

