礼拝説教要約「キリストの涙」(2026/6/7)を掲載しました 

担当   熊江 秀一 牧師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  ヘブライ人への手紙 5章1~10節  創世記 14章17~20節 

 涙と共に私たちを執り成す大祭司イエスの姿が語られる。しかもそれは「人として生きておられたとき」、すなわち毎日であった。

この世の大祭司は民の代表として「人々の中から選ばれ」、「罪の赦しのための供え物やいけにえを献げるよう」立てられた。大祭司も一人の罪人として弱さがあった。しかしこの弱さゆえ「思いやり」を持つことができた。この大祭司を神が召し立てた。

主イエスはこの大祭司の資格を十分に満たした。しかも地上の大祭司にまさる永遠の大祭司として立てられた。

さらにこの手紙は、旧約聖書を引用して、主イエスを神の御子であり、メルキゼデクに連なる天から遣わされた永遠の大祭司と告げる。

この世の大祭司には弱さゆえの「思いやり」が必要であった。一方、大祭司イエスの執り成しの姿は「同情」(4:15)であった。「思いやり」と「同情」は似ているが、意味が違う。「思いやり」はギリシャの哲学者も大切にした中庸の姿。人の苦しみに心を向けるけど、のめり込まない姿である。しかし大祭司イエスの「同情」は、苦しみの只中に自分から入り込み、その苦しみをご自分の苦しみとする姿である。それはギリシャの哲学者からすればおろかである。しかし大祭司イエスの「同情」がなければ、私たち罪人の救いはない。私たちの苦しみをご自分の苦しみとし、罪のあがないとしてご自分を捧げた大祭司イエスの涙の執り成しによって、私たちは救われた。

しかもそのために主イエスは「御子であるにもかかわらず」「従順を学ばれ」「完全な者とされた」。そして今や、私たちの「永遠の救いの源」となり、「メルキゼデクに連なる」永遠の大祭司となられた。キリストの涙の中で執り成されていることを心に刻み歩もう。

 



  



 

  

 

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