礼拝説教要約「成熟を目指して」(2026/6/21)を掲載しました 

担当   熊江 秀一 牧師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  ヘブライ人への手紙 5章11~6章12節  創世記 12章1~5節 

 信仰の成長、成熟が語られる。「キリストの教えの初歩を後にして」、それを土台にして成長してゆくのである。

それは乳を求める幼子から大人へと成長する姿である。洗礼を受けた時、初歩の教えという乳で養われていた幼子の信仰者が、次第に成長し、固い義の御言葉を食べて大人となる。そして今度は、救いを求める者に乳を与える者となるのである。この固い食物によって養われる「善悪を見分ける感覚」は何が神の御心であるのかを見分けることである。それは幼子の時代には味わえない恵みである。

このことは決して後回しにできないことである。「ひとたび光を照らされ」洗礼を受けて、「後に堕落した者たちは、再び悔い改めへと立ち帰ることはできません」。「堕落」は、信仰を捨てるのみならず、信仰を持ちつつも次第に堕落することも含む。私たちはこの厳しい警告を聞かなければならない。

教会の歴史の中でも説教者たちはそれを指摘してきた。その中で怒りにあい命を落とす者もいた。彼らが命をかけて指摘した信仰の堕落とは何か。それは自分の救いや祝福ばかりを願う信仰である。中世の免罪符は最たる姿である。彼らは命をかけて指摘した。それは宗教改革となった。

自分の救いや祝福という初歩の教えにとどまっていたら、信仰は堕落する。それは信仰を私物化し、主を「またもや十字架につける」こと、自分も滅びることである。

しかしこの書の目的は私たちを脅すことではなく、「愛する人たち」を信仰の成熟の恵み、救いの確信に招くことである。

それは「神の名による愛を決して忘れない」ことである。どんなに小さな愛でも、神の御手にある。「最後まで希望を持ち続ける」のである。 大祭司イエスに導かれ、信仰の成熟を目指して進もう。
 

 



  



 

  

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です