礼拝説教要約「神に近づく希望」(2026/7/12)を掲載しました 

担当   熊江 秀一 牧師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  ヘブライ人への手紙 7章1~19節  創世記 14章17~20節 

 「もっと優れた希望がもたらされました。私たちは、この希望によって神に近づくのです」。律法に勝るもっと優れた希望、それは大祭司キリストの希望である。

この優れた希望の証しのため、アブラハムが受けた祝福が語られる。信仰の父アブラハムの生涯は平和に生きる歩みであった。甥のロト一族の羊飼いとの争いの際、土地選択の優先権をロトに与え、対立をさけた。ただ一度の戦いは、ロトを救うための戦いであった。その時、少人数で「王たちを打ち破り」、ロトを助け、財産を取り返した。しかしアブラハムは戦利品を王たちに返した。それは平和を造り出す姿であった。

なぜアブラハムはそのような歩みをできたのか。それはメルキデゼクの祝福があったからである。

メルキデゼクは「義」と「平和」の王であった。しかもいと高き神の祭司として、神と人との間を執り成した。彼は「神の子に似たもの」「永遠に祭司」であった。

このメルキデゼクがアブラハムを祝福した。

祝福は祈願ではなく宣言である。アブラハムはメルキデゼクの祝福を受け、平和と信仰の生涯を歩んだ。そして今、アブラハムの子孫である私たちは、まことの神の子、大祭司キリストの祝福が与えられている。

メルキデゼクは、律法のレビ族による祭司制度にまさる祭司である。律法ではなし得なかった救いを実現するために、神はメルキデゼクのような永遠の大祭司としてイエス・キリストを立てた。

メルキデゼクがアブラハムを祝福した時、パンとぶどう酒というキリストの贖いの象徴を持ってやって来た。永遠の大祭司であるイエス・キリストも自らの十字架の贖いを持って私たちのもとに来て、祝福する。旧約のまさるもっと優れた希望によって、祝福を受け、大胆に神に近づこう。
 

 



  



 

  

 

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