礼拝説教要約「主イエスは永遠に生きている」(2026/7/19)を掲載しました 

担当   熊江 秀一 牧師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  ヘブライ人への手紙 7章20~28節  詩編 110章1~7節 

 26節以下は「ラプソディ」(狂想曲)とも呼ばれる。大祭司キリストに対する熱き思いが歌われる。まずこの説教者は「大祭司こそ、私たちにふさわしい方」(新共同訳:必要な方)と歌う。「ふさわしい」は、英語の「フィット」である。この大祭司は、私たちの救いのために、ふさわしい姿で完全にフィットして下さる方である。

この「ふさわしい」姿とは、御自分をいけにえにする姿である。

この世の大祭司はまず自分の罪のため、その後、民の罪のためにいけにえを捧げた。毎年、贖罪日に、大祭司によって、この罪の贖いがされると共に、毎日、数え切れないほどの祭司たちによって、執り成しの祈りが捧げられた。それでも私たちの罪の完全な贖いとはならなかった。しかし大祭司キリストは、ただ一度の十字架によって私たちの罪を贖い、救いを成し遂げられた。

しかもこの大祭司キリストの執り成しは今も続いている。十字架によって、私たちの罪を贖われたキリストは、復活し、今も生きて働き、私たちを執り成し続けている。大祭司キリストは今も生きて働く永遠の大祭司である。その喜びにあふれ、熱い思いを持って、この説教者はラプソディを歌う。

宗教改革者マルチン・ルターもこのラプソディから大きな影響を受けた。ルターが「万人祭司」を解き明かす時、この御言葉を引用し、大祭司キリストは今も生きて働き、メルキデゼクのように天において見えない務めを果たしておられること。その見えない務めを、見える形で行うために、キリスト者はみんな「万人祭司」として立てられていると告げた。今も生きて働かれるキリストの執り成しの中、私たちも祭司となって互いに執り成し合うのである。「小さいキリスト」(ルター)となって歩もう。
 

 



  



 

  

 

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