礼拝説教要約「光の子として歩む」(2026/7/26)を掲載しました
担当 佐藤 潤 伝道師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
エフェソの信徒への手紙 5章6~20節 イザヤ書 60章1~5節
「光の子として歩みなさい」と求められている。私たちは、かつては罪と死に支配された闇の中に生きる者でした。しかし今や、洗礼を授かり、キリストにあって闇から光へと移され、新しい命を与えられ、「光の子」とされている。不品行や貪欲に支配される古い生き方ではなく、新しい身分にふさわしく歩むことが求められている。
その歩みは「あらゆる善意と正義と真実」という光の実として現れる。自分の益ではなく他者の益を求め、神との正しい関係に生き、自分の欲望ではなく神の御心を選び取り、偽りを捨て、神の前に開かれた生活を送る。これらは人間の努力による成果ではなく、キリストと結ばれ、聖霊によって新しくされた者に神が実らせてくださる実りである。
光の子とされた者は、「何が主に喜ばれるかを吟味し」、悪の力が満ちる時代の中で、神のために時を用い、み言葉に聞き従って歩む。その歩みを支える力は「聖霊に満たされること」にある。「酒に酔う」ように一時的な慰めを求めるのではなく、聖霊によって心と知性を新しくされ、神の御心に従う喜びに生きる。聖霊に満たされた者は、「詩編や賛歌、霊の歌」をもって互いを励まし、教会を建て上げていく。いつもすべてのことについて、主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝していくのである。
賛美と感謝は、神に愛された子として与えられた恵みへの自然な応答であり、教会の一致を生み出し、神の愛を世に証しする歩みとなる。
「光の子として歩む」とは、単に立派な人になることではない。キリストに結ばれ、聖霊に導かれて光の実を結び、賛美と感謝に生きつつ、救いの完成という希望に向かって歩み続けること。その歩みを通して、光の源であるキリストご自身が、なお闇の中にいる人々を照らし、光の子へと招いてくださる。

