礼拝説教要約「信じる者になりなさい」(2026/4/19)を掲載しました
担当 熊江 秀一 牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
ヨハネによる福音書 20章24~29節 創世記 15章4~6節
復活物語の第三幕、復活の主イエスがディディモと呼ばれるトマスに現れた出来事が与えられた。彼は復活の主が弟子たちに現れた時、その場にいなかった。弟子たちはトマスを訪ね、主が復活されたことを伝えた。主に遣わされた弟子たちはその喜びの知らせをまず友に伝えたのである。しかしトマスはそれを受け入れず、主の手の釘跡や脇腹の傷を見、触れなければ「決して信じない」と答えた。その姿を私たちは笑えない。私たちも信仰に目に見える証拠を求めてしまうからである。
弟子たちは八日の後、トマスを誘い再び集まった。この時も家の戸の鍵は閉められた。しかしこれは恐れからではなく、1週間前の出来事を追体験して、主の復活を証しするためである。主の日に弟子たちが集まり、主の復活の出来事が証しされる。ここに教会の主日礼拝の原点がある。
そこに復活の主が現れ、真ん中に立ち「あなたがたに平和があるように」と宣言した。そして主はトマスの思いに応え、手の釘跡や脇腹の傷を示し、触れるように告げた。この主の愛によってトマスの心は開かれ「私の主、私の神よ」と告白した。
この告白はヨハネ福音書のクライマックスである(元々は20章まで)。またこの告白は教会の信仰告白の原型となった。私たちもこの福音書の最後にこの告白をするのである。
さらに復活の主はトマスを「見ないで信じる」という信仰の幸いへと招かれる。「信仰とは、望んでいる事柄の実質であって、見えないものを確証するものです」(ヘブライ11:1)。ディディモとは双子という意味である。彼の双子の一人は私たちである。
今日、主の日に復活の主に出会っていただき、トマスと共に「私の主、私の神よ」と告白し、信仰の幸いに生きよう。

