礼拝説教要約「神の栄光を見る」(2026/5/17)を掲載しました 

担当   熊江 秀一 牧師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  ヨハネによる福音書 11章38~44節  エゼキエル書 37章11~13節 

 永眠者記念礼拝にラザロのよみがえりの箇所が与えられた。「私は復活であり、命である。私を信じる者は死んでも生きる」と宣言した主イエスは、兄弟の死に悲しむマルタとマリアの姿に、共に涙を流した。そして死の力に対して憤り、ラザロの墓へと行った。洞穴を利用した墓は大きな石で蓋をされていた。この石とは生の世界と死を分ける隔てであった。その墓に来て主イエスは「その石を取りのけなさい」と命じる。
 しかしマルタは「主よ、もう臭います。四日もたっていますから」と反発する。マルタはその直前に、主イエスが復活と命の神であると告白した。しかし愛する者の墓を前にして信仰が揺らいでしまった。そんなマルタに主イエスは「もし信じるならば、神の栄光を見ると言ったではないか」と励ます。神の栄光、それは死に打ち勝つ栄光、命が輝く栄光である。

主イエスは死の現実の前に信仰が揺らぐ私たちのために、神に執り成しの祈りをささげ、大声で叫ぶ。「ラザロ、出て来なさい」。この時、私たちにどうすることもできなかった死の力が打ち砕かれ、命の光が輝いた。すると「死んでいた人」ラザロが、今、生きている人として「出て来た」。

この出来事はエゼキエル書の「私の民よ、私はあなたがたの墓を開き、あなたがたを墓から引き上げる。その時、あなたがたは私が主であることを知るようになる」の実現である。

ラザロのよみがえりを通して、もはや死が私たちを支配するのではなく、復活と命の神である主イエスが私たちを統べ治めて下さることを知ることになった。 先達たちはこの信仰に生きた。今日、私たちも死が私たちを支配するのではなく、命の神である主イエスが共におられることを心に刻み、主の命の道を歩もう。

 



  



 

  

 

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