互いに足を洗い合って(2019/08/18 熊江秀一牧師)

「互いに足を洗い合って」詩編41編1節~14節/ヨハネによる福音書13章9節~20節

熊江 秀一牧師

「互いに足を洗い合わなければならない」。この御言葉の背景には、迫害によって信仰から離れるヨハネ教会の現実があった。しかもこのことは、ダビデを通して旧約の時代から預言されていた。主イエスに選ばれた弟子が主を裏切ってしまう、主の愛から離れてしまう。これはユダや弟子達の問題ではなく、私たちの現実である。

しかし主は、弟子が裏切ることを御存知の上で彼らを弟子とし、彼らがご自分の愛から離れることをご承知で弟子の足を洗われた。むしろ主を裏切り、主の愛から離れてしまうような者だからこそ、主イエスは僕となって愛を込めて足を洗った。彼らにこそ十字架のあがないが必要だった。

そして主は弟子の足を洗い終えた後、互いに足を洗うことを命じる。ここには私たちが主の愛から離れないための二つの教えがある。

一つは主に足を洗っていただいたその恵みを、互いに証しし合うことである。救われた恵みを分かち合う。それが互いに足を洗い合うことの第一の意味である。そしてもう一つは、互いに仕え合うことである。私の足を洗ってくださった主を模範として、互いに僕となり愛を持って仕え合うのである。

しかし私たちは、そのことを主のようにはできない。そんな私たちに「僕は主人にまさらず」、このことを知って実行するとき、幸いであると言う。

私たちのなすべき洗足は、執り成しの祈りである。私たちは主の御名によって祈り合うことで、互いに足元にひざまずき合うのである。

「互いに足を洗い合う」は、ヨハネによる福音書の中では身近な人への愛を示す。主の愛から離れてしまう現実の中、互いに証しと祈りで仕え合うのである。その時、神の栄光が現され、主を信じる群れとなるのである。

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