狭い門(2019/08/11 高橋真之伝道師)

「狭い門」申命記30章15節~20節/マタイによる福音書7章13節~14節

高橋 真之伝道師

イエス様は山上の説教を通して、私たちに祝福を語ってこられました。しかしイエス様は、山上の説教が最後の部分に入ると一転して、注意を促す厳しい警告の言葉をお語りになっていきます。それは、イエス様がこれまで語ってこられた祝福というのは、私たちの命にかかわることであって、これをイエス様から受け取っても受け取らなくても「どうでもよい」、というようなものではないからです。

ここでイエス様がお語りになったのは、命に通じる「狭い門」から入りなさい、ということでした。この狭い門は「見いだす者は少ない」門である、とイエス様は言います。つまりイエス様は、この命に至る狭い門に入れる者が少ないと言われているのではなくて、そもそも入ろうとする者が少ないと言われているのです。その逆に、滅びに続いている広い門は、誰もが入ろうとします。旧約聖書には、この広い門から入って滅びの道を歩む者達の姿が何度も記されていますが、それは何よりも、この広い門が私たちにとってとても魅力的に映るからでしょう。

しかし、そんな私たちのために、イエス様は「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる」と言われ、命に通じる門となってくださいました。この門であるイエス様が私たちを招き、命の道へと導いてくださっているのです。

私たちはこのイエス様を通って、永遠の命への道を歩んでいくのです。この歩みというのは、具体的に言えば、イエス様を信じて歩むということでしょう。私たちはこのイエス様を信じる信仰によって、イエス様の招きに応えて狭い門に入り、信仰を持って細い道を歩んでいくのです。

イエス様は、十字架の上で命を捨ててまで、私たちをこの歩みに招いてくださいました。

だから私たちは何よりもまず、私たちのために命に至る門となってくださった、イエス様のこの招きに応えたいと思うのです。

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