主イエスに香油を注いだ女(2019/05/19 熊江秀一牧師)

「主イエスに香油を注いだ女」詩編86編5節~13節/ヨハネによる福音書12章1節~11節

熊江 秀一牧師

ヨハネによる福音書は、受難物語の最初に、主に香油を注いだマリアの物語を告げる。この出来事は、ある「家」で起こった。これは教会を想像させるためである。

この時のマリアの行動は大胆である。しかも高価な香油(現在の価値で約300万円)を、惜しげもなく注いで自分の髪の毛でぬぐった。主に対するマリアの献身が込められている。

この出来事には二つの意味がある。一つは主イエスに対する王、メシア(油注がれた者)としての証し。そしてもう一つは、主ご自身も語っているように、葬りの準備である。しかも楽園の香りにあふれるナルドの香りは、復活の命の希望があふれる葬りの準備となった。

主はこのマリアの行為をとても喜ばれた。もちろんマリア自身は、自分の行為が主の葬りの準備となるとは思っていなかった。しかし主は、マリアの精一杯の捧げ物をお用いになった。

しかしこの行為に対して、イスカリオテのユダが憤慨する。香油を無駄遣いせずに売って、貧しい人々に施すべきだ、と。それに対して主は「わたしはいつも一緒にいるわけではない」と、十字架の主と向き合う今の時の大切さを告げる。香油を売って貧しい人に施す。それは世の正論だ。しかし教会は、それを超えてひたすら主と向き合い、神の御心を求め続ける。むしろそうすることで、隣人とともに生き、愛に生きる力が与えられる。他の福音書で主はマリアのこの行為を「良いこと」と言った。それは「美しいこと」とも訳すことができる。それは、献身の美しさである。

正論を振りかざしたユダではなく、ナルドの香油を捧げたマリアの献身を、主は「美しい」と喜ばれた。私たちもマリアとともに、それぞれのナルドの香油を捧げ、献身の美しさに生きよう。

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