「復活の主と歩む旅」(2018/04/01 熊江秀一牧師)

「復活の主と歩む旅」 イザヤ書35章1節~8節/ルカによる福音書24章13節~35節

熊江 秀一牧師

エマオへ旅する2人の弟子に復活の主が出会われた。エルサレムで主の死を経験した2人の旅は、恐れと不安から逃れる旅だった。旅には2つある。入っていく旅と、逃れる旅がある。私たちの人生の旅はどうか。

 

この2人に復活の主が出会い、共に旅を歩まれる。最初2人はそれが復活の主であることが分からなかった。しかし主は心が鈍い弟子たちに愛を持ってご自身を示し、心の目を開いてくださる。復活の主はこの時、二つのことをなさった。御言葉の説き明かしとパンさき(聖餐)である。これは礼拝そのものである。それらによって2人の心の目は開かれ、主イエスだと分かった。

 

心の鈍い私たちは、礼拝で御言葉を聞き、聖餐の恵みを受けて、心の目が開かれる。さらに「心は燃える」。聖書の中に「福音の力」という言葉がある。「力」と言う言葉はダイナマイトの元となった「デュナミス」である。福音は圧倒的な力で私たちの心を燃やす。しかもこの言葉には「いやす」とか「始める」という意味も含まれる。心燃やされると同時に心がいやされ、新しく歩みだすのである。だからこの2人は「時を移さず出発して、エルサレムに戻った」。もはやこの旅は逃れる旅ではなく、エルサレムに向かって主は生きておられると告げる旅であった。

 

また「出発する」は「復活する」とも訳せる。復活の主に出会った彼らは復活の主の新しい命に生きる者となったのである。この2人のうち1人は無名の弟子で、私たち自身のことである。私たちも礼拝によって、復活の主と出会い、心の目を開いていただき、いやしていただき、心燃やされて、福音を宣べ伝える新しい旅を歩もう。