「カナでの婚礼」(2018/04/08 熊江秀一牧師)

「カナでの婚礼」 イザヤ書5章1節~7節/ヨハネによる福音書2章1節~12節

熊江 秀一牧師

主イエスはガリラヤのカナでの婚礼の時、水をぶどう酒に変える奇跡をなされた。そこには、新しい歩みを始める若い夫婦をつまずきから救う、主の愛と慈しみの姿が込められている。さらにこの出来事には深い意味がある。「最初のしるし」(11節)は「最も根源的なしるし」という意味もある。ヨハネは福音書のはじめに主の根源的なしるし、主の基本姿勢を示した。それは神の国の喜びである。

 

主は神の国をよく婚礼に例えた。神の国は神の愛のご支配を示す。その喜びの婚礼の席でぶどう酒がなくなってしまうことは、喜びがなくなってしまう私たちの現実である。私たちは神の国の喜びに生きたいと願い、そのために努力する。しかしそこで味わわされるのは、喜びの尽き果てる現実ではないか。さらに私たちの喜びが長続きしているようでも、死の力がそれを断ち切ってしまう。その私たちの現実をぶどう酒のような神の国の喜びで満たしてくださる方がいる。それが主イエスである。しかも主は血を流されることでそれを実現した。このぶどう酒とは十字架の上で流された主の血潮である。

 

主イエスと出会う時、水のような私たちの人生は芳醇な喜びの人生へと造り変えられる。「水がめに水をいっぱい入れなさい」。主を見上げつつ精一杯生きる時、主は奇跡を起こしてくださる。水をぶどう酒へと変えてくださる。

 

主の最初のしるしを知る者は弟子と召使いだけという、ひそやかな奇跡であった。しかしそれが主のもっとも根源的なしるしであった。私たちも主の招きに応え、それぞれの水がめに水を汲んで、カナの奇跡を経験しつつ歩もう。