「神は愛なり」(2018/03/25 井田一郎神学生)

「神は愛なり」 イザヤ書53章5節~7節/ヨハネの手紙(一)4章7節~17節

井田 一郎神学生

数日前、NHKラジオで日本のダウン症の赤ちゃんの出産状況をある医学系大学教授が語るのを耳にして、私はショックを受けました。母親が妊娠しておなかの赤ちゃんがダウン症であることが判ると、98%は産まないそうです。この母親たちは罪の意識を背負って人生を過ごすことになるのでしょう。現代社会は、目に見える能率と効果だけを価値あるものとして評価します。従って人の気持ちを思いやるとか、他人を自分と同じように大切にすることを忘れてしまっている人たちが多いのです。

 

一方、アメリカはミシガン州のある町の病院で生まれたダウン症の赤ちゃんの心温まる話。ある母親が2番目の子を妊娠し、ダウン症であることが判明。打ちひしがれている両親が医師に呼び出され説明を受けました。「病院は適切なスタッフ5人(医師、看護師、栄養士、ダウン症専門の理学療養士とカウンセラー)を用意し、両親とこどもを一生涯支えていくので安心してください。私たちはこの赤ちゃんの家族であり、この特別な赤ちゃんは私たちを一つにして協力させるために神様が地上に送られた天使なのです」。

 

このダウン症のお子さんは成長し、周囲の愛を受けて幸せな毎日を過ごしている由。今日の聖書箇所・ヨハネの手紙(一)4章7節~17節は、神の愛であるアガペー(ギリシア語)について語られています。愛は神から出るものであると7節にあります。9節では、神はその独り子をこの世に遣わされたのは、神の愛により私たちの罪が赦されるためでした。これは独り子イエスの命を犠牲にしてまでも、私たちの罪を救う究極の神の愛なのです。

 

神の愛を知る私たちは敵対する者を愛すること、愛せない者を愛し、好ましくない者を愛することが可能となるのです。十字架刑で死なれたイエスの状況は、イザヤ書53章5節に鮮明に記されているとおりです。このように神からの愛を受けている私たちは、神の愛に応答することが求められています。私たちは何をもって報いればよいのでしょうか。