神の慈しみと厳しさ(2021/8/29)熊江秀一牧師

■聖書箇所:ローマの信徒への手紙11章13~24節
ホセア書14章1~8節


■説教要約:
「神の慈しみと厳しさを考えなさい」。パウロは神の慈しみばかりを求める私たちに、神の厳しさをも考えるように語る。パウロはそれをオリーブの木のたとえで示す。栽培されていたユダヤ人というオリーブの枝が、不信仰のために切り取られ、代わりに野生のオリーブである異邦人に接ぎ木された。
その時、パウロは異邦人に語る。「折り取られた枝に対して誇ってはなりません」。この時代、すでにローマをはじめ、異邦人の中に、ユダヤ人に対する高ぶりの思いが芽生えていたのかもしれない。人類はこのパウロの警告にもかかわらず、ユダヤ人差別の罪を犯し続けてきた。その最たるものがホロコーストである。
そしてパウロは言う。「ユダヤ人は、不信仰によって折り取られましたが、あなたがたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい」。
今は恐れなき時代と言われる。その究極は神への畏れの欠如である。それを失った時、私たち人間は高ぶり、自ら滅びの道を歩むことになる。神の慈しみと共に神の厳しさを心に刻み、神を畏れる心を養うことは、教会の使命である。
祭司ザカリアはヨハネ誕生の予告を天使から受けた時、信じることができず、口をきけなくされてしまう。厳しい神の裁きである。しかしその時、彼は沈黙の中で、神の救いの計画を知った。ザカリアは神の慈しみと厳しさの中で、賛美と喜びにあふれた。
今や、私たちが見るべき神の慈しみと厳しさはキリストの十字架である。キリストは神の厳しさのために十字架で死なれ、神の慈しみのために私たちの罪の贖いとなった。
キリストの十字架に込められた神の慈しみと厳しさを心に刻み、神を畏れ、へりくだり歩もう。

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