礼拝説教要約「平和と愛の共同体」(2022/9/11)を掲載しました

担当   熊江秀一牧師

■聖書箇所

エフェソの信徒への手紙 6章21~24節   民数記 6章22~27節

■説教要約

エフェソ書の最後、終わりの挨拶が与えられた。
この箇所にはこれまでのパウロの教えが込められている。

 パウロはティキコを通して自分の「様子」と「何をしているか」を伝えた。獄中での彼の信仰と祈りと恵みである。使徒言行録によれば、パウロは捕らわれの身でありながら、神に守られ、裁判官や番人、訪問者に御言葉を語った。獄中にあって福音宣教は前進した。これは困難な状況にある教会への大きな励ましとなった。

 ティキコはエフェソ出身のパウロの協力者であった。後に彼はビティニア州のカルケドン教会の監督となる。エフェソ教会にとっては出身教職である。パウロは彼を通して、獄中のパウロの恵みを伝えさせ、励ましを与えた。そしてティキコのように、主に結ばれ、主に仕えて歩んでほしいと願った。

 教会とはどんな時も主に希望を持ち続け、恵みを数える群れである。クリュソストモスは「キリスト者とは地獄に対してさえ感謝をささげることができる」と言った。私たちも獄中のパウロの姿に励まされ、どんな時代も、キリストの守りと導きを確信し、祈り、主にある希望を持ち続けたい。

 最後は祝祷である。ここにはこの手紙のテーマ、教会の一致と平和と愛の祈りが込められる。それは「父である神と主イエス・キリストから」与えられる。

「平和」は十字架のあがないよってキリストから与えられる。さらにキリストは「信仰を伴う愛」を与えて下さる。教会はこの愛に根差し、愛に立つ群れである(3:14)。

「恵みが、変わらぬ愛をもって・・キリストを愛するすべての人と共にあるように」。アロンの祝祷(民数記)に始まる神の民への祝福は、今や教会に与えられている。この祝福の中、教会の民として共に歩もう。

  

 

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