礼拝説教要約「イエス・キリストの誕生」(2022/12/18)を掲載しました

担当   熊江秀一牧師

■聖書箇所

ルカによる福音書 2章1~7節   サムエル記上 16章1~13節

■説教要約

  ルカは主イエスの誕生をローマ皇帝アウグストゥスの名前と共に記す。アウグストゥスは称号で、名前はオクタビアヌスである。彼の治世は強大な権力ゆえに安定し、古代史上数少ない長期間の平和な時代であった。ゆえに彼は「世界の救い主」と称され、その時代は「アウグストゥスの平和」と呼ばれた。しかしその平和は武力による、上からの押さえ付けるような平和であった。

  主イエスが誕生した時も皇帝の絶対的な命令(住民登録の勅令)にあった。それは税金徴収のための命令であった。そのためにダビデの家系であるヨセフも身重の妻マリアを連れてナザレから本籍地であるベツレヘムへ旅をしていた。それは臨月の身には過酷な旅であった。

主イエスの誕生はその中で起こった。これには意味がある。武力と権力によって「世界の救い主」 と称された皇帝と対照的に、愛によって人間を担い、ご自分の命を捨てて人間を救う真の救い主の誕生である。

  私たちはクリスマスに、主が最も小さい姿で生まれ、自分の命を捨てて私たちを救われた愛を心に刻まなければならない。

ベツレヘムは「ダビデの町」と呼ばれた。かつてこの町で小さなダビデが王として油注がれた。ベツレヘムでお生まれになった御子を思う時、この出来事を思う。主はこの町で最も小さい姿でお生まれになった。それも馬小屋で。神はこの小さい姿で来られたイエスによって救いを与えて下さった。

さらにベツレヘムはルツ記の舞台でもある。神は苦難にあった弱い立場のナオミとルツを見捨てることなくボアズを通してあがない、救われた。

 主は来られる。馬小屋のような私たちのただ中に。
飼い葉桶で眠る御子イエスを我が救い主として迎え、我が王としてほめたたえよう。


 

  



 

  

 

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