礼拝説教要約「あなたがたに平和があるように」(2024/4/7)を掲載しました


担当   熊江秀一牧師

■聖書箇所(新共同訳)
  
  ルカによる福音書 24章36節~49節   イザヤ書 26章1節~4節

■説教要約

 主の復活の知らせを聞いた弟子の群れに復活の主が現れ、真ん中に立って「あなたがたに平和があるように」と言われた。
いまだ恐れや不安、疑いがあった弟子のただ中に、復活の主は入って来て、平和を宣言された。

しかしそれでも、弟子たちは疑い、主イエスを亡霊だと思った。なぜ彼らは復活の主を目の前にして信じることができなかったのか。それは彼らの心の目が開かれていないからである。

そんな弟子の心の目を、復活の主は愛と信仰と希望によって開く。

まず愛。復活の主はご自分の手や足を示し「触ってよく見なさい」と言われた。主は信じない弟子を裁くのではなく、ご自身をさらけ出し、ご自分を示された。この主の愛によって、私たちの心の目が開かれてゆく。

次に信仰の養い、御言葉の説き明かしである。復活の主は、聖書に記されていることがメシア・キリストによって実現することを説き明かした。それは教会の説教の原点である。教会とは主が復活した日曜日、復活の主が弟子の真ん中に立って聖書を説き明かして下さったように、説教を聞き、主の救いを思い起こし礼拝を捧げる。そこに私たちの信仰の養いがある。

もう一つは復活の主の約束による希望である。「あなたがたはこれらのことの証人となる。私は、父が約束されたものをあなたがたに送る」。

心の目が開かれた者として主の約束に希望を持ち、主の証し人として立てられ、聖霊が与えられことが約束された。心の目が開かれるということは主の約束に生きる希望の始まりであり、聖霊を受けた証し人としての始まりである。

復活の主は、私たちのただ中にも来て下さる。毎週の礼拝で、復活の主と出会い、心の目を開いていただき、主を証しする喜びに生きよう。


 



 



 



  



 

  

 

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