礼拝説教要約「聖霊の執り成しによって」(2024/5/19)を掲載しました

担当   熊江秀一牧師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  ローマの信徒への手紙 8章18節~28節   ヨエル書 3章1節~2節

   

ペンテコステは聖霊が与えられた日。主の約束を信じつつも、恐れと不安、弱さにあった弟子たちの祈りの群れに聖霊が注がれた。すると彼らは世界各地の言葉で神の御業を証し、教会が誕生した。

この時、弟子たちに何が起ったのか。彼らの恐れと不安は私たちの現実である。パウロはそれを「虚無(悪魔的な力)に服する」現実と呼んだ。被造物はその中であえぎ、うめいている。そしてそれを自分の力ではどうすることもできない。

しかしパウロは同時に言う。それは「産みの苦しみ」である。そして滅びの奴隷状態から解放される日が来る。その日は主イエスによって実現した。主が人となり、被造物の歴史のただ中に来られ、虚無に服する私たちに神の愛を注ぎ、十字架の命によって私たちの罪を贖い、復活によって新しい命を与えて下さった。

パウロはその救いを私たちにもたらすのが聖霊だと言う。聖霊は私たちを罪から解放し、主によって命をもたらす霊の法則にあずからせる。

しかもこの私たちと共に聖霊もうめいてくださる。霊自らがうめきを持って執り成して下さる。「霊もまた・・弱い私たちを助けて下さいます」の「助けて下さいます」は「共に」「代わって」「取る」の3つの言葉から成る。主は聖霊を与え、私たちと「共に」おられ、私たちに「代わって」執り成し、私たちの弱さや悩みを「取り去り」、救いと希望へと導いて下さる。

だからこそパウロは宣言する。主が与えて下さる聖霊の助けと執り成しの中で「万事が共に働いて益となる」。この希望の信仰が私たちに与えられている。

聖霊は今も生きて働いている。私たちの目には見えなくても。神の息をいただいて生かされ、神の風に包まれて、主の御業を証しして歩もう。



 



  



 

  

 

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