「本命は礼拝」(2020/02/16 久保島理恵牧師)

「本命は礼拝」詩編103編1節~5節/ローマの信徒への手紙12章1節~2節

久保島理恵牧師(東大宮教会牧師)

神から憐みをいただいている私達キリスト者は、その神様にお応えして生きるということが大切です。なぜなら私たちは、神様に応答することによって、憐みを与えてくださる神に感謝をささげることができるからです。

「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」とパウロが言うように、私達のなしうる最良の応答とは礼拝なのです。

ここで言われている「体」とは、私達の「生活全体、人生全体」を指した言葉です。つまり自分の体を献げるとは、私達の全てを神に差し出すことであり、そしてそれこそが、私達の礼拝の本質であるということなのです。

そういうことから考えるならば、私たちの一週間の全ての営みが、神様に献げられる礼拝であると言えるでしょう。すると私たちは「どのような生活を送るか」ということが大切になってきます。

そこでパウロは「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ心を新たにして自分を変えていただきなさい」と勧めているのです。ここで使われている「変える」という字は、「すっかり変わる」という意味を持っています。そのように変わるということはとても大変なことです。しかし私達は自分で変わることを求められているのではありません。神に「変えていただく」ことを求められているのです。

キリストの十字架とは、私たちを変えようとする神の意志と豊かな憐みが示された出来事でした。私達はそれ故に、自分が神に変えられることを確信することができるのです。

私達は変えられていくのです。「何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえる」ことができる者へと。ですから私達は、私たちの全てを、命全体を、神様の御前に差し出していきたいと思うのです。

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