「新年-まことのぶどうの木につながって」(2020/01/05 熊江秀一牧師)*説教音声あり
「新年-まことのぶどうの木につながって」ホセア書2章16節~25節/ヨハネによる福音書15章1節~10節
熊江 秀一牧師
新年礼拝に「ぶどうの木のたとえ」の後半が与えられた。ぶどうの木である主に「つながる」は、「居る」「留まる」「住む」とも訳せる。すなわち一時的、部分的なつながりではなく、主と一体となるような関係である。主自らが私たちとそのようにつながってくださった。主は決して私たちを離さない。この主の恵みの中で主につながるのである。
主はここで「つながる」と訳された言葉を、さらに二つの言葉で言い換えた。
一つは御言葉が内にあること。私たちは御言葉を聞き、教会に連なることで、主につながる。さらに主は御言葉に生きる者の祈りはかなえられると約束された。これは主につながる者の大きな祝福である。
もう一つは主の愛に留まること。これは新しい掟に生きることでもある。「自分を愛するように」愛するのではなく、主の愛の中で愛し合うのである。自分の中で愛を作り出そうとしても、すぐに尽きてしまう。しかしまず主の愛があり、主の愛の中で愛し合うのである。
主はこれらを命令として語られた。私たちは主に「つながる」ことも、離れることもできる。しかしぶどうの枝が幹から離れるとき、実をみのらせない上、枯れてしまうように、私たちは主を離れる時、何もできず、滅びるしかない。主はそのことをよく分かっていた。だから主は強く、そして愛を持って命じる。「わたしにつながっていなさい」「御言葉がいつもあなたの内にあるようにしなさい」「私の愛に留まりなさい」。
新年にあたり、この主のご命令に従おう。まことのぶどうの木である主につながり、御言葉と主の愛に留まろう。この年が豊かな実を結ぶ、祝福に満ちた歩みとなるように共に祈ろう。