「喜びも悲しみも主にゆだねて」(2019/12/29 熊江秀一牧師)*説教音声あり

「喜びも悲しみも主にゆだねて」エレミヤ書31章15節~17節/マタイによる福音書2章13節~23節

熊江 秀一牧師

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神の子が来られた世の現実は闇であった。ヘロデ王の命令で御子の命が狙われ、ベツレヘムの2歳以下の男児が虐殺される。

今年のクリスマスにも悲しいニュースが報じられた。涙と共にクリスマスを迎えた方がどんなに多くおられたか。最初のクリスマスもそうだった。

マタイはこの闇と悲しみの現実をエレミヤの言葉を引用して語った。息子を失ったヤコブの妻ラケルの悲しみと嘆きである。ラケルはベツレヘムに葬られた。さらにベツレヘムはバビロン捕囚の時、民が最後に集められた場所となった。そしてベツレヘムで三度、悲劇が起こる。ヘロデ王による幼児虐殺である。

しかしだからと言ってここでヘロデだけを悪者にして済まされない。ヘロデの姿は私たちの罪の姿である。彼は神殿修復をする一方、肉親さえも殺した。王の地位を守るためである。ある人が「人はだれでも自分という国の王になっている。そして邪魔な者は拒絶する。たとえ神さえも」と言った。自分を自分の絶対者とする。それは聖書の告げる原罪であり、私たちの現実である。そして私たちは神の御子を十字架にかけて殺すのである。

しかしそんな罪に満ちたこの世の救いのために神は御子を下さった。マタイが引用したエレミヤ書には続きがある。「目から涙をぬぐいなさい・・あなたの未来には希望がある、と主は言われる」。そして神は私たちと新しい契約を結ばれ、罪の赦しを宣言される。

この一方的な神の愛による新しい契約が実現したのが主イエスである。この方よって私たちの罪は赦され、私たちの涙がぬぐわれる。「あなたの未来には希望がある」と宣言される。

この一年の喜びも悲しみも主に委ねよう。そして新年に旅立とう。

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