「友と呼んでくださる主」(2020/01/12 熊江秀一牧師)*説教音声あり

「友と呼んでくださる主」出エジプト記33章7節~11節/ヨハネによる福音書15章11節~17節

熊江 秀一牧師

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主は今日の箇所で「ぶどうの木のたとえ」を語られた理由を「あなたがたの喜びが満たされるため」と語る。主につながる時、私たちは喜びの中に生きる。主が喜びそのものだからである。

そして主はこの喜びの中で新しい愛の掟を宣言する。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」。これは主の愛に根拠を持つ愛の掟である。まず主に愛されていることから愛が始まる。

この主の愛は「友のために自分の命を捨てる」これ以上ない大きな愛である。主は私たちのことを友と呼んで下さり、十字架の愛で愛して下さる。

そして主は友である私たちにこの「互いに愛し合う」という使命を委ねる。私たちはまことのぶどうの木である主につながって、友と呼んで下さるその愛に応えることが求められている。この友としての呼びかけはまずモーセに与えられた。それは今や私たちに与えられている。

この主と私たちの友情を成り立たせているものは主の一方的な愛と献身である。主は「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」と宣言する。まず主の選びがあり、主が友と呼んで下さる。そして主はご自分を与え尽くし、その命さえも下さる。だから主こそが私たちの「ベスト・フレンド」最高の友である。

友、フレンドという言葉はフリー(自由)と関係がある。私たちの最高の友、主につながることは私たちが最も自由で、自分らしく、素直になれる時である。

信仰とはまことのぶどうの木である主につながり、友と呼んで下さる主の選びと愛に生きることである。その恵みの中で私たちは豊かな実を結ぶ者としていただける。この喜びの道を共に歩もう。

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