「その子をイエスと名付けなさい」(2019/12/08 熊江秀一牧師)

「その子をイエスと名付けなさい」創世記18章9節~15節/ルカによる福音書1章26節~38節

熊江 秀一牧師

イエス様の母となったマリアというのは、特別な人として理解されることの多い人物でもあります。しかし聖書は、マリアをそのような特別な人間として記しておりません。むしろ聖書が告げるマリアの姿とは、どこにでもいるごく普通の少女の姿なのです。私たちと同じように悩み、苦しみ、戸惑う、それが、聖書が告げるマリアの姿なのです。

マリアは、天使が彼女に告げた知らせに大いに戸惑いました。普通の町娘としてそれまで暮らしてきた彼女には、自分が「神の子」を産むなど、しかもその子供は「救い主」となることなど、まさに想像の埒外のことであったからです。しかも、この時の彼女は、婚約中でしたが結婚はしていません。したがっていくら身に覚えのないことであったとしても、子供を妊娠したことが発覚すれば、姦淫の罪に問われかねない状況にあったのです。

だから、マリアは不安と戸惑いに襲われました。そんな彼女の口から出たのは、喜びの言葉ではなく、「どうして」と言う言葉でした。しかし、そんなマリアに天使は「神にできないことは何一つない」と告げるのです。私たちの常識で考えれば、この受胎告知というのはあり得ないことです。しかし、神様にならばそれが出来る、マリアはそのことに気づきます。そして「私は主のはしためです。お言葉通りこの身になりますように」と言う言葉が彼女の口から出ました。

「はしため」というのは「奴隷」という意味の言葉です。奴隷というのは主人の為に、主人によって生きるものです。したがって、マリアはこの時もはや自分によって、自分の為に生きるのではなく、神様の為に、神様によって生きると口にしたのです。つまり、マリアが受胎告知の時に選んだのは、できないことなど何一つない神様にすべてを委ねる生き方であったのです。

この生き方が出来るならば、そして神様が全能のお方であると信じることができるならば、私たちの人生に出会う危機は、神様が救いを与えてくださる時へと変わります。マリアはそのことを信じたからこそ、天使の言葉を受け入れることが出来たのです。

そうしてマリアの信仰によって産まれた子には「イエス(神は救い)」と言う名前が神様より与えれました。まさにイエス様は、私たちに神様の「救い」をあたえるためにお生まれになったのです。そしてこの救いは、マリアに続く者すべてに与えられます。だからこそ、私たちはマリアに続いて歩みだしていきたいと思うのです。

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