聖霊を与える約束(2019/11/10 熊江秀一牧師)*説教音声あり
「聖霊を与える約束」イザヤ書32章15節~17節/ヨハネによる福音書14章15節~31節
熊江 秀一牧師
主イエスは最後の晩餐の決別説教の中で聖霊を与える約束をされた。ここで主は聖霊を「弁護者」と呼ぶ。その原意は「呼ばれて傍らに来てくれるもの」である。それは「助け主」(口語訳)とも呼ばれる。
この「弁護者」とは元々は主イエスのことであった。いつも共におられた主が、昇天後、その後を引き継ぐ弁護者として聖霊を遣わした。今や聖霊によって主は共におられる。
聖霊の働きは何か。今日の主の説教から4つ示される。
その一つは私たちを主イエスに出会わせて下さること。私たちは肉眼で主イエスを見ることができない。しかし教会は聖霊によって主を見、出会うことができる。聖霊は内なる神である。主が私たちの心の奥深くに来て下さる。私が主の内におり、主が私の内におられるという経験、それが聖霊による主との出会いである。だからこの世は主を見ることができなくても、私たちは主を見ることができる。
二つ目は、私たちの心の目を開き、主に対する愛と信仰を芽生えさせることである。「聖霊によらなければだれもイエスは主であると言えない」(Ⅰコリント12章3節)のである。
三つ目は主イエスの御言葉を悟らせることである。御言葉を理解することができない私たちに御言葉を悟らせ、歩むべき道を示す。それが聖霊の働きである。
四つ目は主の平和を与えることである。主が十字架によって実現した平和が、聖霊によって与えられる。
聖霊とは私たちを主イエスに出会わせ、信仰を与え、御言葉を悟らせ、そして平和を与えて下さる。
昨日の教会のバザーで教会全体に吹いているさわやかな聖霊の風を感じた。今日、この礼拝においても聖霊の風は満ちあふれている。
礼拝説教の音声公開、有難うございます。
世は聖霊を受け入れることができないが、主イエス様を知る者は聖霊を受け入れることができる。ですから、聖霊を受け入れる者の考えは、世が受け入れるもの(ルール・法など)よりも御心に適っているものでなければならない。
※細かいかもしれませんが聖書個所のご案内なのですが→「聖霊を与える約束」イザヤ書32書の、2つ目の書は「章」だと思いますので訂正した方がよろしいかと思われます。