信仰に生きる(2019/09/15 熊江秀一牧師)

「信仰に生きる」イザヤ書43章1節~5節a/コリントの信徒への手紙Ⅱ4章16節~5章5節

熊江 秀一牧師

パウロは私たちの衰えていく肉体を「外なる人」と呼ぶ。一方で「内なる人」は日々新たにされると言う。それは主の命によって生きる新しい人である。その人には「重みのなる永遠の栄光」がもたらされる。

パウロは「内なる人」の希望によって「落胆しない」と告白する。パウロには常に弱さと苦難にあった。しかしその中で希望を持ち続け、福音を宣べ伝えることができた理由は「内なる人」の恵みであり、永遠の栄光の希望ゆえである。

しかしこの恵みは、艱難に耐えたから与えられるものではない。ただ神によって一方的に備えられ、与えられる驚くべき恵みである。

神は預言者イザヤが告げたように私たちを宝のように思い、愛して下さる。神は私たちを造り、名を呼び、罪を贖い、共にいて下さる。それは神による驚くべき恵みである。

しかもその恵みは死を超えた永遠の恵みとして与えられる。

神は私たちに「天にある永遠の住みか」備えて下さるのである。肉の体である「地上の幕屋」が滅びても、私たちは天にある永遠の住まいに移され、そこに生きることができる。パウロはそれを「上に着る」ことだと言う。その時「死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまう」。死は神が私たちに与えて下さる永遠の命には勝つことができない。

私たちは洗礼を受けた時からこの恵みの中にある。しかも神はこの永遠の命の保証として聖霊を与えて下さっている。洗礼を受けた信仰者は聖霊という保証をいただいて、すでに永遠の命に生きる者とされているのである。

だから私たちは「見えるものではなく、見えないものに目を注ぐ」。永遠なる神の恵みを見上げて歩む。それが私たち信仰に生きる者の姿である。

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