キリストの復活(2019/04/21 熊江秀一牧師)

「キリストの復活」ホセア書6章1節~3節/マルコによる福音書16章1節~8節

熊江 秀一牧師

主の復活を最初に知らされ、証人となったのは婦人たちだった。ある学者は、そこに主の復活の信憑性の証拠があるという。

マグダラのマリヤたちは日曜日の朝早く、主の墓へ行った。しかし、墓は空っぽであった。そこに天使が座り、十字架につけられた主が復活されたことを告げる。このことは、主が三度予告したことだった。しかし、主の死に直面した時、彼女たちはその御言葉を失ってしまった。私たちも試練に直面するとき、御言葉を失ってしまう。その最たる時が、死に直面するときである。それが私たちの真実である。

しかし、そんな婦人たちに天使は「あの方は復活なさって、ここにはおられない」と告げる。「復活なさって」は受け身形であり、主の復活は神の御業ということである。さらに天使は、婦人たちに主の復活とガリラヤでの再会をペトロと弟子たちに告げる使命を与える。14章28節の約束を再び告げようとしたことは、主の深い愛による。弟子たちは主を見捨てて逃げた。ペトロは主を三度拒絶した。しかし主は、彼らを見捨てない。

それでは婦人たちはどうしたか。墓から逃げ出し、震え上がり、正気を失って恐れ、何も言わなかった。この福音書はもともと、この8節の流れで終わっていた。迫害等で未完だったのかも知れない。しかし、そこに深い意味がある。それは主の復活は恐るべきことで、それを神が成してくださったということである。

そしてその恐れに震える者と復活の主は出会われる。後の教会は、この日マグダラのマリヤに復活の主が出会ったことを書き加えた。その時、彼女の心の目は開かれ、主の復活を最初に「知らせる(ルター訳では「宣教する」)者とされた。私たちも復活の主と出会い、心の目を開かれて、証し人としていただこう。

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