「主を証しする人生」(2018/03/04 熊江秀一牧師)

「主を証しする人生」 イザヤ書40章1節~5節/ヨハネによる福音書1章19節~34節

熊江 秀一牧師

ヨハネによる福音書の告げる洗礼者ヨハネの姿は証言者である。

 

ヨハネのもとにエルサレムから代表者が送られ「あなたはどなたですか」と尋ねさせた。悔い改めのバプテスマを宣べ伝えたヨハネのもとに多くの人が集まり、民はこのヨハネに待ち望んでいたメシアへの期待を抱いた。彼はメシアなのか。ヨハネは答えた。「わたしはメシアではない」。ではエリヤか。あの預言者か。「そうではない」。そしてヨハネは「わたしは荒野で叫ぶ声」と答えた。

 

このヨハネの姿は教会の姿である。教会も主イエスを証しする声にすぎないことを心に刻むことが大切である。ヨハネは言う。「わたしは後から来られる方」を証しする。「わたしはその方の履物のひもを解く資格もない」。履物のひもを解くのは当時奴隷の仕事であった。ヨハネは自分をそれ以下の者といい、自分の栄光や誉れを求めることなく、ひたすら謙遜な姿で主を証しする使命に生きた。

 

なぜ洗礼者ヨハネはそこまで主を証しするのか。それはこのお方が「世の罪を取り除く神の子羊」「神の子」だからである。ヨハネが「荒野で叫ぶ声」と答える時に引用したイザヤ書40章から歌い始められる音楽作品にヘンデルの「メサイア」がある。序曲の後、テノールが「慰めよ、私の民を慰めよとあなたたちの神が言われる」とイザヤ書40章1節~3節を歌い始める。この歌い出しから始まるメサイヤは主イエスが神の子羊として私たちの救いのために十字架の道を歩まれることを歌う。

 

「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」。洗礼者ヨハネの証しするこの十字架のキリストをしっかりと見つめ、証ししつつ年度末、残る受難節の日々を歩もう。