礼拝説教要約 「神の恵みにより値なしに」 (2023/11/26)を掲載しました

   大宮教会 創立120周年秋の記念礼拝

担当   藤盛勇紀牧師 (富士見町教会牧師)

■聖書箇所
  
  ローマの信徒への手紙 3章21節~26節   エレミヤ書 31章31節~34節

■説教要約

 

人は皆、自ら神を捨てて本来の姿を失い、神の栄光も失って、意味も目的も知らないままに生きて死ぬ者となりました。そんな「的外れ」が、聖書の言う「罪」です。しかし聖書は、「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされる」と言います。神との関係を絶った罪人を、神は恵みにより無償で、只で、価なしに神の命に与らせたいのです。関係を回復し、戻って来てほしい。そのために、すでに完全な道も付けられました。

 人は真の光なる神に背を向けているので、光があるのになぜか暗く、見えるものといえば自分の影ばかり。影が濃いのは、背後から差す光が強いからです。神はいつでも私たちに与えようと、全てを用意しておられます。私たちが自ら神に向き直って、光に向くことを待っておられます。そして、常にあなたに語りかけておられます。無理矢理振り向かせるようなことはなさいません。あなた自身が気づいたら帰れるように、聖書を通し、人を通し、出会いや交わりや出来事を通して働きかけながら、待っておられます。「全部赦している。もう何の心配も躊躇もなく戻っていいんだ。あなたがしなければいけない償いは、もうすっかりイエスがやってしまったよ」と。

 そのために、神は独り子イエスを、人として世に送ってくださいました。イエス様は、あなたの現在・過去・未来の一切の罪を赦して、あなたを神の命に生まれた者とするために、死んでくださいました。償いは完全に終わったのです。「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました」。

 私たちはすでに、この恵みに生きる者とされています。この120周年の記念の年だけでなく、いつでもどこでも、喜んで生きることができます。この恵みを世に伝え、喜んで生きて証ししましょう。



 



 



  



 

  

 

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