礼拝説教要約「何も持たずに生まれ」(2023/9/24)を掲載しました

担当   甲賀正彦伝道師

■聖書箇所
  
  テモテへの手紙一 6章1~12節   アモス書 8章4~7節

■説教要約

私たちは何も持ち込まずに、裸でこの世に生まれ落ちました。本籍は天国にあります。本国から派遣されてきたのです。この世は仮の住まい。だから「生きるのが辛い」とか「この世の居心地が良くない」と思うなら、それは当然かもしれません。ホームではなくアウェイに乗り込んできたのですから。

任務が終了すると、私たちは本国に帰っていきます。何も持ち出すことはできません。全てを手放して帰っていきます。「我々はどこから来て、どこへ行くのか」、神様のもとから来て、神様のもとに帰るのです。その間、与えられた人生をどう生きるか、それが問われています。

もっと欲しがる欲望が問題です。欲望は、奪う、ねたむ、憎む、自己中心になる、正義を軽んじる、裏切る、そして殺人へと至ります。だからパウロは言います、「食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです」。 満足するとは、不正の黙認ではありません。私たちは満足と正義を結びつけます。欲望は自己を破滅させますが、満足は足りないものをイエス様で満たします。

ナルドの香油の壷を割ってイエス様の頭に注ぎかけた女は、自分にできうる限りの愛と感謝を表しました。香油を持たない人も、神様への愛と感謝を表します。私たちに命を与えて、素晴らしいこの世界に住まわせ、生かしてくださる、その神様を褒め称え、恵みに感謝する。他に何ができるでしょう?

素晴らしい環境と養育者も与えられました。貰いっぱなしでは落ち着かないです。お礼をしたい。でも、この命に見合う返礼品などありません。値段もつけられません。私たちにできることは神様を愛し、できる限りの感謝を表すこと。それは欲望の反対側にあるものです。


 


 



 



  



 

  

 

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