礼拝説教要約「主の救いを受けるために」(2023/9/3)を掲載しました

担当   熊江秀一牧師

■聖書箇所
  
  マルコによる福音書 2章1~12節   イザヤ書 35章1~6a節

■説教要約

主イエスのおられる家に、四人の男が中風の人を運んで来た。群衆にさえぎられた彼らは、屋根に上り、それを壊して、病人を床ごと主のもとにつりおろした。主は彼らの非常識なやり方をとがめるのでなく、そこに信仰を見た。主は病人に「子よ、あなたの罪は赦される」と宣言した。

この言葉は、病気は罪のせいとする因果応報の理解によるのではない。この人を全人格的に救う宣言である。

 しかし律法学者たちは、この言葉を神への冒涜と理解した。彼らは律法の知識が豊かであったが、うわべして見えていなかった。そんな彼らに主は「罪を赦す権威」を示すために、病人に「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と宣言した。すると「その人は起き上がり、すぐに床を担いで」出て行った。

律法学者は、この人の病気は罪のせいだと思っていた。だからこの人がいやされたことは、罪の赦しにほかならなかった。彼らは「皆驚き」「神を賛美した」。

 この中風の人は主との出会いによって、自分をそれまで縛り付けていたものを担う新しい人生を歩み出した。私たちも主と出会う時、自分の現実を担って歩む者へと変えていただける。

このいやしは、四人の男の信仰によって起こった。主は、私たちの他者のための信仰の祈りを聞いて下さる。

 しかも主は、この四人の男以上の驚くべき姿で、救いを成し遂げた。それは主の十字架である。主はご自分の体を打ち破り、天の扉を打ち破って、罪に縛られた私たちを、神の元に招き入れて下さった。  この物語は、教会においてとても愛された。この人に、主の激しい愛によって救いに入れていただいた自分の姿を重ね合わせて、さらにこの男たちの信仰に教会の姿を実感した。私たちも主の愛と信仰に生きよう。


 



 



  



 

  

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です