礼拝説教要約「一人も失わないで」(2024/3/24)を掲載しました

担当   甲賀正彦伝道師

■聖書箇所(新共同訳)
  
  ヨハネによる福音書 18章1節~11節   創世記 22章6節~13節

  創世記22章は、愛する一人息子イサクを生贄にする、アブラハムへの試練です。この箇所は説明のしようがない難所です。もし、アブラハムと同じ試練が与えられたら、誰も従うことができません。呪われた人生でもいいから、子供を抱いて逃げるでしょう。だから、私たちは「主の祈り」で「試みに遭わせないでください」と、祈るしかありません。

 神様は備えてくださいます。「焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる」のです。この物語を受け入れ難くしているのは、神様の試練の内容と同じくらい、アブラハムが神様の備えを信じていることです。人道主義、合理主義、科学主義の世界では、神様の備えは分かりません。「備え?それは偶然、たまたまだ」、「備えるのは人の業、神様ではない」などと疑えば、この物語が絶望となります。だから、私たちは「主の祈り」を祈ります。「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」備えはいつも神様から与えられる。そのことを毎週声を合わせて確認するのです。この物語はアブラハムの信仰の勝利ではなく、約束を守る神様の誠実を表しているのです。

 ヨハネによる福音書18章は、イエス様への試練です。イエス様は試練を与えられたアブラハムであり、自分が殺されるための木を背負うイサクであり、イサクの身代わりになる生贄の小羊です。「わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」試練の最中、イエス様は弟子たち守り、剣で応戦するペトロを守りました。イエス様は良い羊飼いです。言葉は実現するのです。

 讃美歌459「飼い主わが主よ」は、イエス様への信頼の歌です。狼が来ても愛する群れを守り、羊のために命を捨てる、約束を守る誠実な方。私たちはこの方に守られています。 


 



 



  



 

  

 

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