喜びの挨拶(2020/11/1) 熊江秀一牧師 

「喜びの挨拶」

イザヤ書7章14節/ローマの信徒への手紙1章1~7節

熊江秀一牧師

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ローマの信徒への手紙を読み始める。パウロは第三回伝道旅行の途上、コリントで、ローマ訪問、イスパニア伝道を願いつつ、この手紙を書いた。福音の喜びを伝えるためである。

福音とは何か。パウロは言う。それは「神が既に聖書の中で預言者を通して約束された」ことであり「御子に関する」ことである。

神は救いの約束を、御子イエスによって実現された。これが福音の喜びである。

「御子は肉によればダビデの子孫から生まれ」た。御子イエスは人となって生まれた。私たちの喜びも悲しみも弱さも知り、誘惑も苦しみも経験をされた。そして御子は人間の罪の犠牲となって十字架で死なれた。それは本来ならば私たちが受けるべき裁きであった。しかし御子は死に打ち勝ち、復活され、今や天にあって私たちを祝福し、統べ治めて下さる。この復活の視点から見る時、主イエスは「聖なる霊」にあふれた「力ある神の子」であることが明らかとなる。主イエスの生涯のすべてが私たちを救うための神のご計画であった。

3~4節は、教会の礼拝の中で用いられた式文の一部だった。教会の最も初めの時代から、福音とは御子に集中し、イエス・キリストこそが人となられ、死より復活した力ある神の子として告白されていた。ここに私たちの喜びがある。そして教会はこの福音に生きる。

使徒パウロはこの福音に集中した人だった。そして彼は、御子の福音を宣べ伝え「すべての異邦人を信仰の従順に導くために」使徒としての使命に生きた。信仰とは従順である。主イエスとその御言葉に対する従順である。

 パウロは最後にローマの教会を祝福する。大宮教会もこの祝福を受け、福音の喜びに生きる群れである。福音に生きる群れとして共に歩もう。

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