礼拝説教要約「新しい掟」(2022/10/9)を掲載しました

担当   熊江秀一牧師

■聖書箇所

ヨハネの手紙一 2章7~17節  民数記 11章31~34節

■説教要約
  
異端の輩と、聖書が教える「神を知っている」は違った。それは「神の掟」に生きているかどうかであった。この箇所で「神の掟」に生きる信仰が告げられる。

「神の掟」は、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」であった。それは「すでに聞いたことのある」古い掟であった。この古い掟を「新しい掟」として聞き、生きるのである。

 信仰の危機は、御言葉を、古い、分かり切った言葉とすることである。そうではなく「新しい掟」、常に新しい言葉として聞き続けるのである。そこにヨハネの教会再建の道があった。

 この手紙は、「新しい掟」に生きる恵みを歌う。
まず「子たちよ」と、教会のすべての信徒に、主の十字架による罪の赦しの恵みを歌う。また「父たちよ」と、神の御計画の信仰を持って人生を歩んでこられた先輩信徒たちの姿を歌う。
さらに「若者たちよ」と、世の誘惑の中、信仰に生きる若い兄弟姉妹を励まし歌う。

 そしてこの手紙は告げる。「世も世にあるものも、愛してはいけません」。ヨハネの教会が語る「世」には、神が造り、祝福し、独り子をお与えになるほどに愛された「世」と、キリストを受け入れない罪の「世」という両面がある。
ここでは罪の「世」と、そこにあるもろもろの罪を、愛するなと告げられる。
「肉の欲、目の欲、生活のおごり」は罪の「世」から出る貪欲である。その恐ろしいところは、神の恵みに生かされていながら、それが見えなくなってしまうことである。そして生活の場が「貪欲の墓」となってしまう。それらはすべて有限なものである。

 しかし「神の御心を行う人は永遠に生き続けます」。神は永遠だからである。
罪の赦しの福音に生かされ、「新しい掟」に生き、共に命の道を歩もう。

 

  

 

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