愛と平和の主を迎えて(2021/3/14) 熊江秀一牧師

「愛と平和の主を迎えて」

ゼカリヤ書9章9~10節/ローマの信徒への手紙5章1~11節

熊江秀一牧師


信仰義認について語ってきたパウロは、5章に入ると喜びの叫びをあげる。

その喜びの中心とも言えるのはキリストによる平和である。「信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ている」と喜び叫ぶ。

私たちは神の平和(シャローム)に生きる者として創造された。しかしその平和を罪によって壊してしまった。私たちは本来ならば神の罰を受け、滅ぼされるべき存在であった。しかしこの私たちの罪をキリストが贖い「今の恵みに信仰によって導き入れて」下さったのである。「今の恵み」は「今、立っている恵み」と訳せる。私たちはキリストによって、神との平和という恵みの立場に立たせていただいた。この恵みの立場は、いつまでも変わることがない。

そしてそこに立つ時、私たちの歩みは「神の栄光にあずかる希望」へとつながる。たとえ今、どんな試練や困難にあっても、神の栄光にあずかる。それは神の国の完成の希望である。

この希望に生きる者には驚くべき逆転が起こる。「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を・・希望は私たちを欺くことがない」 。「苦難をも誇り」とする信仰による逆転である。

この希望の源は「神の愛」。私たちのために命を捨てて下さるキリストの愛である。この神の愛が聖霊によって私たちの心に注がれている。

 このキリストによって神と和解させていただいた今、私たちは「神を誇る」新しい時代を歩む。「誇り」とは「喜び」「祝うこと」である。教会は神の国の完成を待ち望み、キリストに希望を持って喜び祝う。残るレントの日々も、愛と平和の主を迎えて、悔い改めと感謝の思いを持って、キリストの希望の中を歩もう。

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