見えないものを望む群れ(2019/06/09 熊江秀一牧師)
「見えないものを望む群れ」ヨエル書2章27節~3章2節/ローマの信徒への手紙8章18節~26節
熊江 秀一牧師
ペンテコステは聖霊降臨日。主の約束を信じつつも、恐れと不安、弱さにあった弟子たちの祈りの群れに聖霊が注がれた。すると彼らは世界各地の言葉で神の御業を証しし、教会が誕生した。
この時、弟子たちに何が起こったのか。彼らの恐れと不安は、私たちの現実である。パウロはそれを「虚無(悪魔的な力)に服する」現実と呼んだ。被造物はその中であえぎ、うめいている。そしてそれを、自分の力ではどうすることもできない。
しかしパウロは同時に言う。それは「産みの苦しみ」である。そして滅びの奴隷状態から解放される日が来る。その日は主イエスによって実現した。主が人となり、被造物の歴史のただ中に来られ、虚無に服する私たちに神の愛を注ぎ、十字架の命によって私たちの罪を贖い、復活によって新しい命を与えてくださった。
パウロはその救いを私たちにもたらすのが聖霊だという。聖霊は私たちを罪から解放し、主によって命をもたらす霊の法則にあずからせる。
しかも、この私たちとともに聖霊もうめいてくださる。霊自らがうめきを持って執り成してくださる。「霊も弱い私たちを“助けて”くださいます」の「助け」という言葉は「ともに」「代わって」「取る」からなる。主は聖霊を与え、いまも私たちと「ともに」おられ、私たちに「代わって」執り成し、私たちの弱さや悩みを「取り去り」、救いと希望へと導いてくださる。
だからこそパウロは宣言する。主が与えてくださる聖霊の助けと執り成しの中で「万事が益となるよう共に働く」。この希望の信仰が、私たちに与えられている。
聖霊は今も生きて働いている。私たちの目には見えなくても、神の息をいただいて生かされ、神の風に包まれて、主の御業を証ししよう。