罪の正体(2021/5/9)熊江秀一牧師

ローマの信徒への手紙7章7~13節
創世記3章1~6節

律法に対するパウロの教えを「律法=罪」と受け取る人々がいた。それに対してパウロは「決してそうではない」と断言する。律法はあくまでも神の言葉であり「命をもたらす」「聖なる」「正しく」「善いもの」である。

 パウロは、律法の働きは罪を明らかにすることであると言う。私たちは律法によって、これが罪だということを体験的に知る。そしてその罪から逃れ、滅びを避けて、神に心を向ける。だから律法は命の言葉である。

しかしそれで終わらなかった。その明らかにされた罪が、目を覚まし、律法の掟を機会(軍事用語で基地の意味)として、私たちを攻撃する。アダムとエバが、神の最初の掟を機会として、蛇によって誘惑され、罪を犯したように。

 さらに罪は掟や御言葉を利用して、罪を犯させる。サタンが主イエスを聖書にはこう書いてあると正しさを示しつつ誘惑したように。

 これが罪の正体である。罪は律法を機会として私たちを責め立て、その恐るべき正体を現す。

 しかしそれでもパウロは律法を聖なるものと呼ぶ。なぜなら私たちは自分の罪の現実を律法によって痛いほど知らされて、初めて、キリストの救いへと導かれるからである。

 パウロはガラテヤ書で律法をキリストのもとへ導く養育係と呼んだ。それは古代ギリシャ時代、子供が悪いことした時、痛みを与えて養育した奴隷である。律法は、私たちに罪の正体を、痛みによって明らかにし、キリストの救いへと目を向けさせるのである。

 「律法は病を明らかにする。福音はいやしを与える」(ルター)。

自分の病を知った者は、そのいやしを求める。私たちは自分の罪の現実を知らされて、キリストの福音による救いを求める。罪の正体を見据え、キリストの救いの道を歩もう。

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