「あなたの敵を愛しなさい」(2019/03/24 高橋真之伝道師)
「あなたの敵を愛しなさい」レビ記19章17節~18節/マタイによる福音書5章43節~48節
高橋 真之伝道師
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」。これは大変美しい言葉である。この御言葉通りに敵を愛することができるならば、どんなに幸いなことだとろうか、と私たちは思う。
しかし、敵を愛することは難しい。一体どれだけの人がこの御言葉に真剣に聴き、この御言葉の前に挫折を経験し、妥協と諦めをもってこの御言葉を受け止めてきただろうか。
この御言葉のもつ難しさから、ある人たちは、主イエスは「このような姿勢でいるべきだ」という私たちの理想像を語っているに過ぎない、と考えた。しかし、この御言葉は私たちのもっている理想であってはならない。45節で「天の父の子となるためである」と言われているように、キリストによって救われ、天の父の子とされたキリスト者は、天の父の子として「敵を愛する」ことをこそ求められているからである。
それでは、敵を愛するとはなにか?私たちの敵は、私たちがその人を愛するに足る理由を何一つとして持っていない。しかし、主はその敵がしたことを赦し、与えなさいというのである。私たちはこの「見返りを求めず与える愛で愛すること」を求められているのである。これは決して簡単なことではない。
私たちが愛することを恐れるのは、愛が無駄になってしまうことが怖いからだろう。事実、私たちが敵を愛したところで、敵からもっと殴られるかもしれない。もっと奪われるかもしれない。もっと強いられるかもしれない。
しかし、主イエスが十字架にお架かりになったからには、その愛は決して無駄になることはない。主イエスは、私たちが「愛する者」になるようにと、十字架に架かってくださったのだから。だからこそ、私たちは愛することを決してやめてはならないのである。