「喜び、祈り、感謝」(2018/02/11 熊江秀一牧師)

「喜び、祈り、感謝」 詩篇95章1節~7節/テサロニケの信徒への手紙(一)5章12節~28節

熊江 秀一牧師

この手紙の最後の箇所で、パウロは教会に対する願いを語る。指導者を心から尊敬すること、教会員相互が平和に過ごすこと、世のすべての人に忍耐強く接し、善を行うこと。これらのパウロの願いは、すべての伝道者の祈りである。そしてパウロは信徒一人ひとりに、神がキリストに望んでおられる三つのことを語る。

 

まずいつも喜んでいること。少女パレアナが喜びの遊びをしたように、恵みを数える生き方である。この喜びの源はキリストである。「神がキリスト・イエスにおいて望んでおられること」は直訳で「キリスト・イエスにおける神のご意思」となる。神のご意思はキリストによる私たちの救いである。このキリストに私たちの喜びの源がある。そしてこのキリストの喜びの中で、私たちは絶えず祈りへと導かれる。さらにどんなことにも感謝が与えられる。

 

パウロは私たちがこの喜びと祈りと感謝に生きるため、日々の信仰の勧めを語る。「霊の火」=聖霊に燃やされて歩むこと。「預言」=御言葉を軽んじることなく、神の言葉として聞くことである。これは礼拝とその説教を重んじることをも意味する。私たちが聖霊に満たされ、礼拝を重んじることに喜びと祈りと感謝に生きる生活がある。そしてその中で自分の思いではなく、神がいま何を望んでおられるかを吟味し、良いものを求めていく生き方へと導かれる。

 

最後にパウロは祈る。この祈りは私たちの祈りである。私たちも平和の主が私たちの霊も魂と体も非の打ちどころのない者としてくださるように祈ろう。この祈りを指導者も信徒も互いに折り合い、互いに愛に満ちた挨拶をかわし互いに御言葉を証ししあって歩もう。