神の子とする聖霊(2021/5/30)熊江秀一牧師

■聖書:
ローマの信徒への手紙8章12~17節
創世記3章8~13節

■説教要約:
パウロは、前回に引き続き、聖霊に導かれる喜びを語る。パウロはまず私たちキリスト者には「義務」があると言う。それはこの世的な「肉に対する義務」ではない。自分の力や行いに頼み、肉に生きる時、私たちはキリストから離れてしまう。その行く末は死である。しかし肉の仕業を絶って、聖霊に導かれて歩む時、私たちは「生きる」。それがキリスト者の「義務」である。

 パウロは聖霊に導かれて生きる驚くべき恵みを宣言する。

「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです」。罪の奴隷であった私たちは、キリストによって解放され、聖霊により神の子と認めていただいた。私たちは神を「アバ、父よ」と呼ぶのである。

 しかし私たちは神の子としていただきながら、神に全てを委ねることができない現実もある。そんな私たちにパウロは、聖霊が、私たちを神の子であることを証しして下さると言う。聖霊は、神に対しても、私自身に対しても、神の子とされている恵みを証しし、執り成し、自覚させて下さる。私たちは「アバ、父よ」と祈る時、聖霊に導かれ、祈りの中で変えられていく。父なる神への信頼へ、神の子としての喜びへと導かれていく。

 その神の子としての喜びは、キリストと共に、神の相続人とされるという喜びである。今や、私たちはキリストと共に栄光を受け、御国を受け継ぐ相続人の一人としていただいている。だからこの世の現実が厳しくても、聖霊に導かれ、「アバ、父よ」と祈りつつ希望を持って歩むのである。

 神の子とする聖霊に導かれ、神に自分を委ねて生きることが、私たちキリスト者の義務である。その信頼と感謝から、キリスト者のすべての業が始まる。神の子とする聖霊に導かれ歩もう。

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