礼拝説教要約「日のあるうちに」(2024/2/25)を掲載しました

担当   甲賀正彦伝道師

■聖書箇所(新共同訳)
  
  ヨハネによる福音書 9章1節~12節   列王記下 6章8節~17節

 「生まれつき目の見えない人」は、イエス様に出会うために、信仰を告白し、信仰によって永遠の命を得、神様の栄光を見るために生まれました。神様の業がこの人に現れるためにです。障がいを持つ人たちは、私たちに強く訴えかけます。生きるとは何か、人間とは何か、幸せとは何か、その存在に私たちは動揺し、黙り、謙虚にならざるを得ません。人生の教師、人類のための薬、高慢を打ち砕く光です。

「わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。」このとこは、イエス様の活動の時間の限界を言っているのではありません。私たちの時間の限界についてです。人生は一瞬です。イエス様のために、教会のために働く時間は限られています。決断のチャンスはあっても、その機会を逃したら、もう時間は戻りません。働く時間は限られているのです。

 私たちが人を助けることで、神様の栄光を表すことができる。私たちがイエス様の一部となり、今も生きるイエス様と共に生きる。それは病の原因追求や分析より、もっとすばらしいことです。

 まだイエス様を信じることができない人が、信じることへと変わることができるのが「日のあるうち」です。信仰の告白も、悔い改めもできない「夜が来る」のです。それまでに、私たちは成すべきことがある。神様の器として用いられる時間がまだあるのです。

「わたしは、世にいる間、世の光である。」イエス様はこう言ってこの世を去られました。イエス様がこの世で生きておられた期間は、十字架の死、復活、栄光への昇天によって終わりました。イエス様は今も世の光ですが、その光は今、私たちの働きの中にあるのです。



 



 



  



 

  

 

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