礼拝説教要約「主イエスの洗礼」(2023/6/4)を掲載しました

担当   熊江秀一牧師

■聖書箇所

マルコによる福音 1章9~11節  イザヤ書 42章1~9節

■説教要約

主イエスの洗礼には、マルコの伝える主の福音が込められている。

一つは、主が私たちと同じになって下さったことである。主イエスは罪人である私たちの側に立ち、洗礼を受けて下さった。一つは、主の洗礼によって、新しい洗礼の恵みが与えられたことである。「あなたは私の愛する子」。主イエスに続いて洗礼を受ける者は、神の子として宣言される。私たちはこの洗礼の恵みへと招かれ、信仰の決断へと導かれる。

主が洗礼を受けた時、「天が裂けて」「霊が鳩のように」降った。「天が裂けて」神が降る姿は、旧約時代から待望されていた(イザヤ63:19)。また霊が「鳩のように」 降ったという言葉は、創世記1:2「神の霊が水の面を動いていた」(鳥が空を舞うように動く)を思わせる。神の霊によって天地が創造されたように、主イエスの福音による新しい創造の時が始まった。

 さらに主が洗礼を受けた時の「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」は旧約の三つの箇所を思い起こさせる。一つは創世記22章、神がアブラハムに独り子イサクを捧げよと命じた箇所である。神は独り子イエスを人の救いのために捧げる決意と共に呼びかけた。一つは詩編2編、王の即位の歌である。主イエスが王である神の子として即位した。一つはイザヤ書42章、主の僕の歌である。この主の僕は53章に至ると苦難の僕となる。主の僕である主イエスに、十字架に向かう苦難の僕の姿が暗示される。

 この主の十字架の苦難によって、救いが訪れた。天が「裂けて」は、マルコにもう一カ所ある。主の十字架の死の時、神殿の垂れ幕が「裂けた」。今や神と人の隔ては取り除かれ、神と人の和解の道が開かれた。主の洗礼によって、備えられた救いの道を歩もう。


 





  



 

  

 

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