礼拝説教要約「主イエスの復活」(2023/4/9)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所
ヨハネによる福音書 20章1~18節 詩編 30編2~6節
■説教要約
マグダラのマリアは主の墓の石が取りのけてあるのを発見し、シモン・ペトロと主の愛しておられたもう一人の弟子に伝えた。二人は主の墓に走っていき、まずペトロが墓に入った。そこには亜麻布と覆いが置いてあった。愛弟子も入ると「見て、信じた」。この福音書では「見る」ことと「信仰」が結びつけられてきた。しかしこの時「聖書の言葉を二人はまだ理解していなかった」。二人はまだ主の復活を理解していなかったが、復活信仰の芽生えが確かにあったと言える。新しい時がすでに始まっている。
しかし復活の主が最初に出会われたのはこの二人ではなく、墓の外で泣いていたマグダラのマリアであった。マリアは墓を見つめて泣いていた。それはマリアが死の方向を向き、死の力に支配されて泣いていたということである。マリアは天使の呼びかけにも応じなかった。
しかしそんなマリアを復活の主は見ておられた。そして背後から「マリア」と呼びかけた。死の方向を向いて泣いていたマリアは、復活の主に名前を呼ばれることで、主の方へと向きを変え、「ラボニ」(私の先生)と答えた。復活の主は罪と死の現実の中で嘆き悲しむ私たちの背後から名前を呼んで下さる。そして私たちをご自分の方に向かせ、救いと命と喜びへと導いて下さる。
そして主はマリアを主の復活の証人として弟子たちのもとに遣わす。マリアは復活の主の命と喜びにあふれて、御言葉を伝えた。この後、マリアは登場しない。出会いは一度だけだったかもしれない。しかしマリアは、もはや復活の主を見続けている。信仰によってマリアは主イエスと出会い続けている。
「泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を迎えさせて下さる」(詩編30:6)。