礼拝説教要約「エマオの旅人」(2024/3/31)を掲載しました


担当   熊江秀一牧師

■聖書箇所(新共同訳)
  
  ルカによる福音書 24章13節~35節   イザヤ書 60章1節~3節

■説教要約

 エマオへ旅する二人の弟子に復活の主イエスが出会われた。
エルサレムで主イエスの十字架の死を経験した二人の旅は、恐れと不安に満ちた逃れる旅だった。旅には二つある。目的地を目指し入っていく旅(エイソドス)と、逃れて出て行く旅(エクソドス)である。

私たちの人生の旅はどうか。

この二人に復活の主が出会い、共に旅を歩まれた。最初二人はそれが復活の主であることが分からなかった。しかし主は心が鈍い弟子たちに愛を持ってご自身を示し、心の目を開いてくださった。

この時、復活の主は二つのことをなさった。

 御言葉の説き明かしとパンさき(聖餐)である。これは礼拝そのものである。それらによって二人の心の目は開かれ、主イエスだと分かった。心の鈍い私たちは、礼拝で御言葉を聞き、聖餐の恵みを受けて、心の目が開かれる。さらに「心は燃える」。

 聖書の中に「福音の力」という言葉がある。「力」という言葉はダイナマイトの元となった「デュナミス」である。福音は圧倒的な力で私たちの心を燃やす。しかもこの言葉には「いやす」や「始める」という意味も含まれる。心燃やされると同時に心がいやされ、新しく歩み出すのである。

 だからこの二人は「時を移さず出発して、エルサレムに戻った」。もはやこの旅は逃れる旅ではなく、エルサレムに向かって入り、主は生きておられると告げる旅であった。
 また「出発して」は「復活して」とも訳せる。復活の主に出会った彼らは復活の主の新しい命に生きる者となったのである。

 この二人の内一人は無名の弟子で、私たち自身のことである。私たちも礼拝によって、復活の主と出会い、心の目を開かれ、、いやしていただき、心燃やされて、福音を宣べ伝える新しい旅を歩もう。


 



 



 



  



 

  

 

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